輪廻のラグランジェ 第3話「鴨川にランの花咲く」 感想!
もうまどか大好きすぎる。僕の大好き主人公リストにまたページが増えてしまった。
人助けの本質は?
まどかはジャージ部に所属している。いや、部員は一人なので所属しているというよりは、勝手に名乗っている。
いとこのお姉ちゃんも以前ジャージ部で、まどかはジャージ部魂を受け継いでいる、という可能性もあるが、今のところあまり重要ではない。
ジャージ部とは、有り体に言えば人助けをする部活動である。名前と活動内容が一致しないのはよくある事なので重要な事ではない。軽音楽部に所属している全国数多のロッカーの卵は、自分たちの音楽を「軽いもの」だとは思っていないだろう。
さて、ジャージ部は人助けをする部活動であるが、人助けとはなんだろうか?
文字通り困っている人を助ける事であり、それが成功すると感謝されるものであり、また自分にも達成感・充実感が返ってくるものである、と定義出来るだろう。
しかし、その本質はどこにあるのだろうか。
昨今、「我が身をかえりみずに他人を全力で助ける」主人公がちらほらいる。
代表的なのは、『Fate/stay night』の衛宮士郎、『化物語』シリーズの阿良々木暦などだろう。
彼らは自分の都合など後回しで、困っている人がいれば必ず手を差し出し、全力でその問題解決に当たる。
こういう主人公たちは、かっこいい。
これは当たり前である。作り手が、かっこよく見えるように作っているからである。それが失敗しない限り、彼らがかっこいいのは当たり前なのだ。
しかし、僕も「かっこいい」と彼らの雄姿に痺れる一方で、その本質を見ると、どうも納得しがたいものがあるのである。
彼らは「人のため」に動く。自分のためではなく、他人のために戦っている。
見返りなど求めない。ただ、助けた人たちが助かってくれればいい。
しかし僕は、こういう「描き方」に疑問を感じる。果たしてそうなのだろうか? 彼らは他人のために戦っているのだろうか?
否、彼らは自分のために戦っているのだ。
決して他人のために戦ったりはしない。自分のために戦った結果、他人のためになっているだけだ。
何故なら、他人が主人公に助けられて「助かった」という事実は他人のものだし、「助かってよかった」「救われてよかった」と喜べるのも、他人のものだからだ。
同じく喜び合いながら「よかったね」と声をかけるのだとしても、それは他人の喜びではなく、自分の喜びだ。
人はどうしたって、自分を中心にしてしか物事を見る事が出来ない。それは、「自分」という言葉が己の意識の届く全ての限りを指している限り、絶対の定義である。
例えば、彼ら主人公たちは真に他人のために戦っているのだと仮定する。そうして戦った結果、他人は助かる。他人は喜ぶ。そして、それ以上の結果は起きないのだ。他人が喜ぶだけで、主人公たちの方にはなんの結果ももたらされない。
これはおかしな事だ。自分が助けた人が助かったら嬉しいはずだ。つまり、この命題は間違っているのである。
僕はさっき、わざと『とある魔術の禁書目録』の上条当麻を挙げなかった。何故かというと、『禁書目録』はちゃんと「自分のために人助けをしている」という事を描いているからだ。上条自身が、身を呈して他人を助けるのは自分のためだと発言している。『禁書目録』は、人助けの本質をしっかり突いているのだ。
また、上に挙げた『化物語』シリーズの阿良々木も、「助けたんじゃない、相手が勝手に助かっただけだ」と言っている点は、人助けの本質を突いている。
人助けとは、自分のために行うものである。
言ってしまえば、人が起こす全ての行動は自分のためなのだが、一見他人のためにやっているように見える人助けこそ、真に自分のために行っていると言える。
ジャージ部の本質は、そして京野まどかの本質は、ここにある。彼女は人助けをするが、それは自分のためであり、決して他人のためではないとちゃんと分かっている。「他人のために自分はいい事をしている」と考えるのは偽善である。それは分かりもしない他人の心を勝手に知ったかぶり、感謝を押しつける思考プロセスである。
だから彼女は、敵の言い分を一笑にふし、その願いをお断りした。決して耳を貸さなかった。
だから彼女は、ランが「自分の恐怖をまどかに押しつけた事」を謝りにきた時、来てくれた事自体は「ジャージ部魂だ」と称賛する一方で、謝る内容に関しては「それは違う」と訂正した。ランは確かに自分の不甲斐なさを棚に上げて一般人であるまどかを戦場に送り込んだのかも知れないが、それはまどか自身も自分で選んだ事だ。彼女は自分で選んだからには、「自分で」責任を取る。決してランのために空を飛んだりはしない。
人助けを行う主人公(ないしは登場人物)に流れる本質は、これだと僕は断言する。
しかし、「他人のため」という美徳を必要以上に美化し、本質を捻じ曲げて描写している作品があり、それを嘆いていた。
『輪廻のラグランジェ』は、人助けの本質をきっちり描いてくれるようだ。
また、その主人公たるまどかも、大変魅力的に映る。彼女の今後の活躍を、本当に楽しみにしたい。
ちなみに、僕は『放浪息子』のED主題歌であるRie fuの「For You」がいたく大好きである。
いちおー注意書き
なーんてすげぇ変な事書きまくりましたが、あくまで僕の主観によるものであり、また批判的な作品の観賞である事をご了承くださいw
久しぶりに「批判」という言葉を本来の意味で使った気がする。最近はネットスラング化してるからねぇ。
ジャージ部の歌
さて、相変わらず面白いラグりんですが、今回もシリアスなストーリーをまどかの破天荒でお気楽で前向きな性格(と、田所司令のツッコミ)で見事に相殺して独特の雰囲気を作り出していて最高でありました。
その中でもジャージ部の歌がやばい!
戦闘中に突然アカペラの変な歌が聞こえてきたから何かと思ったら、なんとまどかがコクピット内で歌っているではないか。
あまりのアホさ加減に全俺が感動した。感動した!
マイペースってレベルではない。ゴーイングマイウェイってレベルでもない。
まどかはシリアスな戦闘中に突然歌い出す事によって、自分のペースどころか、自分のゆく道どころか、自分を取り巻く世界すべてを自分色に染めてしまった。
ラグりん演出の最強形態だと思った。これは本当にすごすぎる。僕は大爆笑しながらも鳥肌が止まらなかった。なんだろうこの感覚は! まるで僕自身すらまどか色に染め上げられているみたいだ!
一応、まどかの歌声はオープンサウンドではないのだろう。避難している人々には聞こえていまい。しかしブリッジには確実に聞こえているはずで、我々視聴者と同じ顔をしているであろう田所司令をありありと想像出来る。
本当にすごかった。ラグりんのこの演出がすごすぎて、真面目に歌を歌っている『戦姫絶唱シンフォギア』の方が憐れに思えてくるぐらいだ。
今回も振り返れば、こういった「ラグりん演出」と固有名詞化していいくらいの素晴らしい演出(シナリオ上、コンテ上、作画上含めてぜんぶ)が目白押しだったが、このジャージ部の歌には敵わない。
でもジャージが恋しい
まどかがずっとパイロットスーツだった……orz
前回熱弁したのだが、エロ可愛いスーツでこれはこれでいいと思うのだけど、戦闘態勢では前髪をしばり上げる芋スタイルなまどかには似合わない。
やっぱり僕としてはジャージを着て欲しい。
もちろんスーツもエロ可愛いので、別に嫌という事はまったくぜんぜんこれっぽっちもないのだが、さすがに1話まるまるジャージが出てこないとなるとヘコむ。ストーリー展開上仕方ないのだとは分かっているのだけど……
そして困った事に、僕はまどかのジャージ姿があまりにも好きすぎて、まどかのイメージカラーはどうしてもオレンジなのだ(笑)
しかしまどかのイメージカラーは緑であり、オレンジはむしろムギナミのものである。さて本当に困った。まぁ僕が勝手に困っているだけなのだけどw
これはもう、まどかのジャージにバリエーションをつけるしか僕の困った先入観が払拭される道はないのだが、次回予告では映らなかった。まぁどの道望み薄かな。とほほ。
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