ギルティクラウン phase22(最終回)「祈り convergence」 感想!
ギルティクラウン、最高でした。
予想外だけどしんみり
僕の感想を簡潔に言うと↑こうなります。
考えていたのとはだいぶ違う結末、でもこれはこれでいいと思えました。
涯は、マナを解放する事が目的だったのですね。
解放というのは抽象的な言葉ですが、マナにイヴという役割をして欲しくなかったのでしょう。
進化と淘汰の鍵を握るマナ。涯はそのアダムとなるための実験体の一人でしたが、施設を逃げ出した先で当のマナと出会ってしまい、しかし恋に落ちた。
12話で集に刺された時、涯は「これでマナが解放されると思った」そうですね。僕もてっきりそう思っていました。「マナを解放する」という目的はこの頃からすでに見えていて、ここ最近ボカされていたのが、再び焦点を結んだ感じになっています。
しかしダァトはマナの消滅を許さなかった。
普通に消滅させるだけじゃ、どうせまた復活させられる。
ならば、その役割を全うさせるまで。
なるほど、だから自ら悪役となっていたのですね。そして、役割を全うさせる過程で、きっと集が来てくれるだろうと。
「一足遅かったな」と涯が言う時、少し悲しそうな表情をしていました。いのりがマナになってしまって、この時点で涯の思惑も潰えていた事になるのですかね。たぶん、あのまま黙示録が終了していれば、マナが消滅するという事はなかったでしょうから。
まぁ、その辺の是非は比較的どうでもいいのです。
前回すっかり書き忘れたのだけど、僕は前回すっっっっっっっげぇ好きなシーンがあります。
それは、いのりが涯に集への想いを語った直後。マナへの転生が進み、ほとんど結晶に侵されたところでいのりは記憶を失ってしまいます。そして、「集って誰……?」とつぶやく。
その時の涯の言葉が素晴らしかった。
「お前の愛した男の名だ」
一瞬の事でしたが、涯が集といのりをちゃんと想っていた事が分かる、そしていのりの集への想いがとても強かった事が再確認できる最高のシーンでした。
今回の話を見て、このシーンを思い出しました。
ダァトの思惑は、「淘汰と進化」でした。
僕はずっと不思議だったのです。確かに進化の歴史は、淘汰と進化の繰り返しでしたが、同時にポンと起こるものではありません。徐々に入れ替わるか、突然変異を起こすか、大量絶滅が起こるか。
まぁ生物学は詳しくありませんが、ダァトはどうもこの淘汰と進化を一緒にやろうとしているような言い方をしていたのですね。
これも、なるほど納得がいきました。
マナの力を使って全ての人類を結晶化させる。これが淘汰ですね。ホモ・サピエンスという種が滅ぶ訳です。
しかし同時に、その結晶はヒトの思考そのもの。
難しい事を言っているようですが、簡単な事です。動く肉体を必要としない、思考だけが生きるというプロセスになる、新しい生物。
滅ぶと同時に、進化する訳ですね。
なるほどこれは、「考える生き物」である人間が次のステージへ進むとこうなる、という面白い設定です。子孫を残す事ではなく、そのままの姿で進化する事でなしえる「淘汰と進化」
あまりに劇的ですが、『ガンダムOO』の純正イノベイターのようなものですかね。
しかし、集はその世界をよしとしなかった。
これは当然ですね。結晶化するという事は、肉体がなくなるという事。そうなると、もう好きな人を抱く事もできなくなる。
だから集は、進化を止めました。「強さも弱さも全て引き受ける」ヴォイドで。
涯は「ヴォイドは進化の前触れだった」と言いました。そのシステムもよく考えられていて感服ですが、つまり、APウィルスと人の心の中にあるヴォイドを全て消し去ってしまえばダァトのたくらんでいた淘汰と進化は起こり得なくなる訳です。
「それだと集が死んだら全人類が死ぬんじゃね?」とちらっと思ったのですが、そこでいのりの出番なのでした。
いのりはマナとは逆で、APウィルスを消し去る力を持っていました。APウィルスとヴォイドは元は同じものですから、APウィルスを消せるという事はヴォイドも同じように消せるはず。
という訳で、集が引き受けたウィルスとヴォイドを、いのりが全て消し去ったのでしょう。
たぶん、そのせいでいのりは肉体を保持できなくなった。
しかし、これは僕の予想でしかありませんが、いのりは集の中で生きているのでしょう。
いのりの中にマナがいたのと同じ感じで。
いのりが自分の意識?魂?を集の中に移動させたのが、あや取りのシーン。いのりは自分が存在を保てなくなる事が分かったので、あや取りを介して魂を集の中に移動させたのですね。
結晶が弾けたシーンでは「え? どうなってるの?」という感じでしたが、A FEW YEARS LATER(数年後)でなるほどストンと落ちました。
集が「Departure」を聴くと、そこには抱き合う集といのりの姿が。
このシーンが最高にイイ!!
マナがいのりの中にいてもいのりが認識できなかったように、集の中にいのりがいるとは言っても、普段から「中にいる」という事を感じる事はないのでしょう。
しかし、いのりの歌を聴いている時だけ、そこにいのりがいる事を感じられる。
ステキじゃないですか。ずっと寄り添って生きていける訳ではなく、「ずっとそばにいてね」といういのりの言葉も、目に見えては実行できないのですが、歌を聴けばそこに感じる事ができる、というのはとてもステキに思えます。
ラストカットのいのりの笑顔も最強に可愛い笑顔でした。
これからもいのりは、集の中で一緒に生きていくのでしょう。いいラストでした。
その他いろいろ
一つすげぇ気になるのが、綾瀬の「すごく楽しみにしてたんだから」「みんなは久しぶりよね」というセリフ。
……まさか集と一緒に暮らしている?w
同棲か、結婚か。
いやまぁ、いのりがいるのになんで綾瀬となんだよ!とは思わないけど、でも気になるわぁ。
今回は作監大量投入の最終回らしい最終回。絵コンテに監督も参加し、映像面はもうヨダレ垂れまくりの最高の出来でした。
特にキャラの表情一つひとつが、さらに特にいのりの表情がもう最高の一言です。第1話からずっと美麗な作画で魅了してきてくれましたが、最終回はそれに輪をかけて美しかった。近年でもそうそう見られない美しさだったと感じます。
数年後のあの集会は、ハレの誕生会ですね。一年に一回仲間が集まる日としてはいい感じのチョイスなんじゃないでしょうか。死んだ人間の誕生日を祝う、というのは人によっては変に見えるかも知れませんが、たぶん彼らはそこまで「誕生日」を意識してはいないでしょう。だから最初の掛け声が「誕生日おめでとう」ではなく「乾杯」だったのでしょうね。ハレの誕生日を選んだのは、死んでしまったけどハレも俺たちの心の中にいるんだぜ、という事を忘れないように……くらいの意味でしょうね。
総評
最終回なので総評を書かないとね。
結局、最初から最後までいろいろツッコミを受けまくっていた作品でしたが、僕は最初から最後まで最高に楽しませてもらいました。
第1話との出会いは忘れられません。
荒木哲郎監督、シリーズ構成は吉野弘幸と大河内一楼のギアスコンビ、I.G制作、加藤裕美キャラデザ、総作監に門脇聡の参加、そしてオリジナルアニメ……と、僕の心をくすぐる要素が最初から目白押しでしたが、その期待を遥かに上回る映像クオリティと、予想以上に心を揺さぶる音楽・音響、そしてワクワクさせる話運び。
これはとんでもないアニメに出会えたと感じたものでした。
その思いは今まで絶える事なく、最後まで勢いを殺す事なく突っ走ってくれました。
近年でも、ここまで楽しめたアニメはそうそうなかったと思います。
毎クール、僕は何かしらのアニメに(時には複数作品)めちゃくちゃハマるのですが、ここまでハマったのは久しぶりでした。Angel Beats!以来かも知れません。
BDを買えなかったのが残念でたまらない。パソコンを新調するためには仕方なかったんだ……
このアニメって、独特の文脈を持っていると思うのです。
吉野弘幸が脚本を書くオリジナルアニメは何かしら批判を受けやすくて、このアニメもそれに漏れなかった訳ですが、その中でも異質だと感じています。
その特徴として、ストーリーを支えるかなり大部分のところをわざと隠しているのです。
もっと分かりやすく言うと、視聴者に対して優しくなかった。
優しくなかった、とは言いましたが、それが悪い事だとはこれっぽっちも思っていません。
アニメはしばしば、分かりにくい事が批判対象になりますが(エンターテインメントである以上その批判もまたもっともです)、僕はこうやってブログを書いている人間、あれこれ考えるのが大好きなのですね。
例えば小説だと、やたら難しい話があったりする訳です。ただ読んでいるだけでは理解が追い付かなくて、必死に考えないとストーリーが理解できない。しかしそれはマイナスポイントではなく、読者はあれこれ考えるのが正しいのですよね。
それと同じで、ギルクラも、視聴する際はがんばって行間を読む必要がありました。
セリフの間間にあるキャラの心情を想像する。描写されていないところまで予想する。これはこういう事かもしれないと仮定して次へ備える。
そうしないと理解が追い付かない。さらにギルクラは、そうしても追い付けないところすらありました。
最終回なんかその典型で、セリフの行間に意味を隠すだけじゃなく、本来隠してはいけないところまでを映像へ丸投げしていました。だから、映像からストーリーを読み取る必要があった。
大変でしたよ、僕も。↑に書いた事を理解するのに大変な思考力を要しました。
だからといったら変ですが、感想ブログを回って散々な評価が並んでいても、もう楽しむのを諦めてしまって最初から楽しむ気のない傾聴に値しない意見が転がっていても、あまり気になりませんでした。普段だったらチクショーと思うところが、そうでもなかったのです。
たぶん、「俺だけがこの作品の面白さを知っている」という独占感があったのでしょうね。普段から僕は「楽しめたもの勝ちだ」という事を言っていますが、ナチュラルにそう感じたのはもしかしたら初めてかも知れません。
本当は今回、「もす!」初の試みで、記事を投稿する前に感想ブログを回って新たに何か書こうと思っていたのですが、感想書いてたらなんだか馬鹿らしくなってきました。僕は僕が楽しめたならそれでいいじゃないか。いい気分のまま記事を終わりたいと思います。
これから感想ブログを回りますが、僕と同じく、むしろ僕以上にいい事書いてるブログもいくつかあるので、そういうブログを楽しみにするぜ。
ギルティクラウン、全22話、とても面白かったです。
僕は最初から最後までいのりに夢中でした。力の入った表情の作画にも毎回ほれぼれでした。
綾瀬やハレ、ツグミなど、周りを固めるヒロインも魅力的な子が多くてよかったです。
僕は普段から、「もっと日常を見たいと思わせてくれるアニメはいいアニメだ」と考えています。集たちの日常をもっと見たいです。
ギルクラ最高。今夜はDepartureを聴きながら眠るとしよう。
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