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氷菓

氷菓 第5話「歴史ある古典部の真実」 感想!

やばい、泣いてしまった。

 
 
 
神酒原は原作既読ですが、ネタバレは一切しません。
ネタバレを避けるために、「感想」ではミステリー部分に関する言及を極力避けます。ミステリーはネタが命、感情に任せて書くとうっかりネタバレしかねないので、自制をかけます。
「考察」(アニプレッション)では触れます。

45年前の真実
高校生活といえば薔薇色だ。だがその高校生活を途中で打ち切ってしまうほどの、強烈な薔薇色は、それでも薔薇色と呼べるのだろうか。

折木のモノローグから一番印象的だった部分を抜粋してみました。いやはやほんと、セリフの力ってすごいですね。余談ですが、やたら相手の名前ばかり呼びまくるアニメがときどきありますが、もう少しセリフ作れないもんかねと常々思っております。その点『氷菓』はいいですね、原作もいいし脚本もいい。いつかこのよさを考察してみたい。

というわけで、関谷純にまつわる45年前の全てが判明しました。
折木の推理は間違っていなかったわけですね。当事者の一人である糸魚川先生が太鼓判を押すくらいだから、本当に見てきたようなものなのでしょう。ただし、客観的事実のみを見たら。

歴史的遠近法の彼方で古典になっていく。
このフレーズはこの作品の舞台が古典部という部活動であるところに由来していますので、一般的な文にパラフレーズするとなると、古典は「歴史」と言った方が近いでしょう。

歴史とは、なんでしょうか。
例えば教科として学習する場合、歴史はフィクションだと思った方がいいそうですね。織田信長が日本統一を為そうとした、しかし志半ばで明智光秀の謀反に倒れた、ところが豊臣秀吉がその悲願を継いで達成した。こいつをセンセーショナルに感じることができれば歴史は面白く、また学習としてもはかどるわけです。歴史は英語で書くとhistoryとなりますが、偶然か必然か、この語の中にstoryという語が隠れています。

しかし、フィクションだと思った方がいい、と受け手である我々が感じ方をコントロールする必要があるということは、実際にはフィクションではないということ。
実際には歴史とは、事実の羅列です。誰がああした、彼がこうした、何がこうなった。織田信長が何故日本を統一しようと思い立ったのか、その心の動きを知っている人がどれだけいるでしょうか。ちなみに僕は知りません。心の動きが現代にまで伝わっているのかどうかすらも知りません。

これと反対に位置する教科が、倫理・哲学ですね。倫理・哲学も、やることは歴史と近いのですが、しかし見るのは「誰が何をやったか」ではなく、「誰が何を考えたか」。僕は高校時代、歴史がてんで駄目で嫌いでしたが、倫理はすこぶる面白くて、全体的な席次は全校30~50番台をうろうろしていたのですが倫理のテストだけは1、2を争うトップランナーでした。
……とまぁ、これは教科として見た場合ですけどね。研究対象として見たら、また違う見解をしなければならないでしょう。

折木の前回の推理は、歴史的観点のみを見ていて、倫理的観点を無視していたわけです。
いや、折木は責められまい。あれだけの資料から歴史的観点だけでも正解してしまったのだから大したものです。
そして今回、倫理的観点が明らかになりました。

関谷純は全校の意思を一身に受けて活動し、英雄として学校を去ったのではなかった。
決して、薔薇色なんかじゃなかった。

歴史的遠近法の彼方で古典になってしまった今、完全に対岸の火事となってしまった今45年前の事件を見ると、英雄の輝かしい活躍に見える。
しかし、いくら学生が活動的な時期だったからといって、たかだか高校生だ。そんな大層な自己犠牲精神など、持てるものだろうか?

答えは否。
関谷純だってただの高校生だった。
隠れ蓑としてトップに担ぎ上げられ、それでも生徒の自主性が守られればと思って活動していたのに火事にまでことが発展して、一人生け贄として退学を余儀なくされる関谷純の気持ちはいったいどれほど悔しいものだっただろうか。

僕は原作既読ですので、この答えを知っていましたし、アニメも原作通りに展開したから予想外も何もないのですが、なんというか、45年前の関谷純に思いを馳せていると、涙がこみ上げてきてしまいました。
ただただ、悔しい。
やってられない。
そんな、等身大な高校生の感情。
氷菓の意味が分かった時に顔を手で覆った里志の気分です。なんてことだ、と。文化祭を守って去ったと思われていた英雄は、なんのことはない、ただの犠牲者だった。

やり切れない思いが、こちらにもひしひしと伝わってきます。キャッチコピーの「ほろ苦い」とは上手く言ったものです。
狼に食われるウサギと、それを遠くから見て見ぬフリをするウサギたち、の映像がセンセーショナルですごいですね。一人だけ犠牲になって、残りの全校生徒が守られた文化祭や残りの高校生活を薔薇色に染め上げるのだろうと思った関谷純の悔しさはどれほどのものだろう。ウサギの絶望に濡れる表情が胸を突きます。

氷菓の意味も、icecream → I scream
珍しいではあるでしょうが、唯一無二というわけではない、折木も言うような下らないダジャレですね。このダジャレは僕も以前にどこかで聞いた覚えがあるものです。
しかし、ダジャレでも遺しておかないと気持ちを整理できなかったであろう関谷純を思うと、また目頭が熱くなります。せめて、自分の思いが残るように。古典部の後輩たちにしっかり伝わるように。

折木共恵が弟を古典部に入部させたのも、「姉の青春の場を守りなさい」と言っていましたが、どちらかというと関谷純の思いを守るためだったんじゃないでしょうか。
共恵も在学中、恐らくたまたま、関谷純の思いを知った。だからどこからか古典部が廃部寸前だと聞き、弟を入部させた。
ということは、共恵も折木同様頭がいいのでしょうね。いや、むしろ折木以上に。

当初の予定通り、この事実を文集のネタにするのですね。一番ページ数が多いと面倒くさがる折木が面白いです。
しかしそうなると、今までこのことを文集のネタにして後世に残そうとする部員は歴代の古典部にいなかったということになりますか。まぁI screamに気付いたとしても、このメッセージは古典部が続く限り残されていくわけだから、わざわざ書こうとは考えないかも知れません。
折木たちが書こうと思い至ったのは、面倒くさがり屋の折木が千反田の好奇心を埋めるついでに文集のネタにしてしまおう、という省エネを実施したからですね。きっかけは千反田が関谷純の姪だったというところですが、折木の省エネ主義がなければこの事実がさらなる後世に伝わることは難しかったでしょう。彼の省エネも捨てたものじゃないですね。

三好一郎(木上益治)がすごすぎる
さて、今回のお話。
絵コンテ・演出が三好一郎でしたね。
京アニのアニメで、最初のエピソードのクライマックスを三好一郎が担当するのは二回目となります。一回目は『CLANNAD』の風子編、第9話「夢の最後まで」。神演出を連発して、僕はこの回で号泣しました。『CLANNAD』は3周見ていますが、3周とも泣きました。

いやぁ、ものすんごく面白かった!
それぞれが抜きん出ている京アニの演出陣の中でも、やはり彼の演出は飛び抜けて素晴らしい。
一つひとつの絵のレイアウト、説得力。
キャラクターの動き。
カメラワーク。
そして氷菓恒例の、アイディア溢れる特殊演出。

どれを取っても最高級!
三好一郎の演出回でこれほど単体の回で神回だと思ったのは、『AIR』の第11話以来です。美鈴が「ママー!」って言う回。
いやもう、30分間、幸せすぎた。

これについて僕に語らせるといつまでもしゃべり続けるので、ここでセーブするとしましょう。
しかし一つだけ言及させて下さい。

三好一郎の演出の特徴の一つに、フィックス(カメラ固定)を多用する、というものがあります。
これが一番表れているのは監督を務めた『ムント』シリーズで、その他の作品で演出をする場合はその作風に合わせてフィックスが強かったり弱かったりします。『日常』ではそこそこ強かった。
その点『氷菓』は、監督の武本康弘らしい演出が今まで徹底されていましたので、フィックスはもしかしたらないかもなー、と思っていました。武本康弘はカメラを固定するというより、がんがん動かしたがりますからね。

しかし、ちゃんとありましたよ!
図書館でお話しているシーン。まぁ完全なフィックスではありませんでしたが、折木・千反田・里志・糸魚川先生が会話している横で摩耶花が返却作業をしていましたね。
まさにここです! いやぁ摩耶花が動く動く。他の4人が動かないので摩耶花に自然に目が行き、その可愛らしい動きにメロメロ。これがフィックスの醍醐味ですね、動かない画面で動くキャラを思う存分に堪能できる。
目は摩耶花、耳は折木たち。ついていくのに大変ではありましたが、今回の中で僕が一番面白いと感じたシーンでした。アニメって幸せ。

今回は他に、作画監督に堀口悠紀子。キャラの表情の描き込みに関しては隋一を誇ってもいい方ですね。『けいおん』シリーズでの仕事が有名ですが、僕は『CLANNAD』での彼女の仕事が好き。
原画に植野千世子。どこのパートだろう、わたし、気になります。それより植野作監回はまだかね!

次回
さて次回のサブタイは、今までの「○○古典部の○○」という定型から外れて「大罪を犯す」。
今回で原作1巻のお話が終わったので、次は2巻……かと思いきや、これは4巻の短編集からですね。ハルヒでない限り、アニメは時系列順に展開します。
余談ですが、ハルヒを知らない世代というものがもうあるんですねぇ。今の高校生、例えば2年生はハルヒ放送時には小学5年生……。時代の流れって早いです。

その次の第7話まで短編エピソードが続きます。2巻の長編ストーリーに入る前のクッションとして、気軽に楽しめそうです。
次回の絵コンテ・演出担当は坂本一也。京アニの中ではベテランの一人……と言えるのかな?
僕は『CLANND』EDのだんごの人、って覚えています。あ、AFTERの方です。
ちなみに『氷菓』のEDでは千反田のパートを担当したそうですよ。つっても原画マン10人もいるので、どの千反田なのかは不明ですが。

追記というか余談
前回感想ブログを回ったところ、「創刊号を発見しなければ」「次回創刊号が出てくる」みたいな意見がいっぱいありました。今回も、まだちょっとしか回ってないですが、「また出てくるんじゃね?」的なことを書いているブログがあります。
しかし、第3話の時点で、もう創刊号が出てくるわけもないことは証明されていたりします。そのことを僕は「こんなにも面白い『氷菓』の世界 第3話 - アニプレッション」で解説したのですが、ブロガーにはあまり読まれていないようで少しショック。
自分で宣伝するのもなんですが、かなりの評価をいただいている記事ですので、ぜひご一読下さい。

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アニプレッション「こんなにも面白い『氷菓』の世界 第5話」は、5月22日の夜から深夜にかけて投稿予定です。
(5月23日0時49分)投稿しました。合わせてどうぞ。

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参考推奨リンク
失われた何か
僕と同じ点に言及していてニヤリ。作画・演出については僕より彼の方が何倍も詳しいので、是非読んで下さい。

所詮、すべては戯言なんだよ
アニメ感想とはかくあるや。うーん、クライマックスということでヨークさんの感想は楽しみにしていましたが、読ませる読ませる。

つぶやき
今朝部屋の電気を点けると、「バチバチバチッ」って音がして電気が点かなくなった。豆球も点かない。スイッチ入れる時に電球の方見てなかったから原因不明、たぶんスターターがぶっ壊れたんだとは思うんだけど。
朝から夕方までは窓明かりでどうにかなるが、夜はどうしたものか。今日スターター買おうにも時間ないし、買ったところでスターターが原因かどうかはちょっと微妙だし。

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8 Comments
tara ""
『手作りチョコレート事件』のアニメ放送が楽しみで仕方なくなってしまった今日この頃です(^^)
恐らく9月ですよね…わたし待ち遠しいですw

アニメ5話の感想でした(^^;)
今回ばかりは文集『氷菓』と関谷純に関する謎解きが「主」で、摩耶花可愛いは「従」になると思ってましたが…
ダメでした…摩耶花可愛すぎですw

でも、まずは5話全体の感想から…
一言で言って、小説で読んだ時よりも感動しました。
映像による演出や音響、声優さんの真に迫った芝居etc.の相乗効果があるとはいえ、真相を知った上で観ているにもかかわらずここまでグッと来るとは正直予想外…
小説で読んだ時は後味の悪さだけが先に立ってしまって、「I scream」の駄洒落にしても拍子抜けとは言わないまでも物足りなさのようなものを感じたんですよね(ミステリとしてのインパクトを期待していたことも影響してるかも知れません)
それが今回アニメで1巻『氷菓』の内容を辿ってみて、第5話の謎解きで胸を打たれるに至り…自分の読み方が浅かったとは思いませんが、勿体無い読み方をしてしまったなと感じさせられました(^^;)

原作の深みを十二分に引き出したスタッフは凄いですね。「京アニ恐るべし」とか有り体な言葉しか出て来ないのがもどかしいです;
個々の演出の妙については神酒原さんが分析されている以上のことを書くことができませんが、個人的には「I scream」に思い至った里志が顔を手で覆う描写が一番印象的でした。見てて思わず「あぁ…」と呻きがシンクロしてしまうような…
あと、食い殺されるウサギの絶望の表情と声なき悲鳴…鳥肌が立ちますね。
(今ふと思ったことですが、4話以前に文集の表紙絵がもう少しクローズアップされてると一層効果的だったかも…)

演出家には詳しくないので、神酒原さんのガイドはとても勉強になります(^^)
『AIR』11話に、『CLANNAD』9話…確かに神回ですね~
「三好一郎/木上益治」の名前は胸に刻んでおくことにします(他にも別名義があるみたいですね…)

フィックスは意識してませんでしたが、図書室でのテキパキ働く摩耶花の動きには目が釘付けでしたね(^^)
踏み台の上で背伸びして高い場所に本を戻す仕草とか、両手を肩の高さまで上げてトコトコと戻って来る姿とか…
『氷菓』のアニメが始まって以来、何度「アニメならでは」と歓喜したか既に判りませんw

引き続き摩耶花の話になってしまいますが…
冒頭の部室で椅子に座りながら足をジタバタさせる動きも可愛いし、「信じらんない!」と机に突っ伏す姿も可愛すぎてニヤニヤが止まりませんでした(^^;)
最後の体くねくねは表情も込みで最高に可愛かったですね。文集作りを牽引する今後の摩耶花の活躍が楽しみです(^^)

>次回
原作はつい先日読んだばかり。予習はバッチリです(^^)
読みながら「アニメではどう表現するんだろう?」と感じた部分もあったので、その辺も含めて楽しみにしてます。

>追伸
先日のコメントに頂いたレスへのお返事ですが、件の推理ドラマは『安楽椅子探偵』で間違いないです。
視聴者に挑戦する形式のドラマだったため、謎解きパートでは視聴者視点から事件を再構成するメタ的な処理として時間止めの演出が用いられていました。
2012.05.31 23:09 | URL | #pNWhpxPM [edit]
666 ""
 何度見返しても釈然としないところの残る回で、こちらで絶賛されるほどのものかというのが正直なところです。

 お書きになっていることについて気になったことをいくつか。

> 歴史的遠近法の彼方で古典になっていく。
> このフレーズはこの作品の舞台が古典部という部活動であるところに由来していますので、
> 一般的な文にパラフレーズするとなると、古典は「歴史」と言った方が近いでしょう。

とすれば、「歴史的遠近法の彼方で『歴史』になっていく。」ということになるのでしょうか。むしろ、ここでの「古典」というのは、「現代とは切り離された遠い昔の物語」といったあたりかと思っていました。

歴史ということについて、もう少しいうと、

> 歴史とは、なんでしょうか。

以下にお書きになっているようなことではなく、近現代史をターゲットとする歴史学の二つのアプローチを思い浮かべるべきかと思います。
一般に歴史学では文献を通じて歴史を構成していきます。ところが、文献として残されているのは、ある程度スクリーニングをかけられた公的事実のみで、その出来事の背後でなされた具体的な個人の意思決定の過程はわかりません。当時は常識であったとしても、年月を過ぎるとそれがどういう意味合いを持っていたのか、わからなくなるということもあるでしょう。そこで、文献だけからは知りえないことを、当時の関係者に話を聞くことによって解き明かしていこうとするアプローチも注目されることになります。いわゆるオーラル・ヒストリーというものです。たとえば『人文・社会科学研究とオーラル・ヒストリー』(法政大学大原社会問題研究所叢書)にあるような。(ちなみにロマンス語系では、「歴史」と「物語(作り話)」とは同じ語です。フランス語ですと、“histoire”、スペイン語ですと“historia”、イタリア語なら” storia”。)


> 氷菓の意味も、icecream→ I scream
最近、エリック・クラプトンとウィントン・マルサリスが共演したとき演奏された” Ice Cream”というブルースはまさにこの言葉遊びによるものですし、『ダウン・バイ・ロー』という映画の中でも、この言葉遊びは印象的な形で用いられていました。

> そして氷菓恒例の、アイディア溢れる特殊演出。
部室内で糸魚川養子=郡山養子であることを奉太郎が告げる場面で、時間遡行のイメージで糸魚川養子の高校生の頃の姿(それも、彼女の回想シーンでの姿と同一のもの)を出してしまったのは、タイミングとしてはやはりおかしいと思いますし、あの場の誰の頭の中のイメージなのか不明で、視覚効果としては面白いけれど、演出としては失敗といえるのではないでしょうか。

実際のところ、演出面でも、ストーリーの面でも踏み込みの甘さを感じさせる出来であったと思います。

さらに、糸魚川養子もまた、事件当時、生徒側、及び学校側の生け贄となった関谷純への不当な処置に対して声を上げることができず、傍観者的な立場で推移を見送るしかなく、かろうじて、関谷純の事件は欺瞞に満ちた英雄譚として語られていくことに抗して、1年後、「氷菓」の序文に事件が英雄譚として語られることへの怒りと関谷純への同情を韜晦した文体で表明したということ、しかしながら、糸魚川養子もまた今では関谷純という生け贄を求めた学校側の人間であり、関谷純の悲劇を「歴史的遠近法の中で古典」とすることで、自分の中で消化してしまった人であり、またそのような自分にとっても傷みを伴う過去が生々しく甦ってくる事態を警戒しつつ、そういう事態になるかも知れない問いを投げかける部員たちにかすかな動揺の色を見せているということが劇中で示されていたと見ました。
たとえば、タイトルの意味を問われたとき、彼女は部員たちの方を見ず、また膝の上の右手を左手で覆い隠しながら、問わずがたりに経緯だけ述べるという描き方がなされていましたが、それは、本来は暗号の秘密を知っていながらそれを隠しているのだろうと思わせるに十分な描写ですし、そのことは彼女が現在の部員たちに対して、生々しい出来事の細部をスクリーニングした歴史的出来事として提示しようとする意志のあらわれと取れました。
そうした微妙な表情の変化を描こうとする意志は十分に感じたのですが、奉太郎がタイトルの暗号を解き明かし、そのことをきっかけとしてえるが伯父が語ったタイトルにこめた思いを想起したとき、糸魚川養子が何を感じたかをえぐるカットはなかったかと思います。そこを描くことで、ほろ苦い青春の蹉跌というテーマは本当の意味で完結すると思うのですが、そこまで原作・脚本を解釈しつくし、描ききることができなかった時点で、一級品の演出とは言いがたいのではないかと思いました。
2012.06.05 00:30 | URL | #- [edit]
神酒原(みきはら) ">taraさん"
なんか一週間くらいレス遅れてますね。いくらなんでも遅すぎるぜ。今回は「どうレスしようかな~」と考えている間にどんどんコメントが増えて手がつかなくなってしまっていました。すみませぬ。

>恐らく9月ですよね…わたし待ち遠しいですw
ですね、9月になるでしょうね。間あいだにオリジナルを挟む可能性もありますが、まぁ終盤でしょう。
摩耶花好き、そしてさらには里志好きにとっては絶対に見逃せない回となりそうです。

>一言で言って、小説で読んだ時よりも感動しました。
映像作品ならではの演出を本当に効果的に使って、確かに素晴らしい出来になっていましたね。もともとよかったものをさらによいものに仕上げる、まさに氷菓、違った、昇華。

>自分の読み方が浅かったとは思いませんが、勿体無い読み方をしてしまったなと感じさせられました(^^;)
ここにすごく同意です。
所詮は「アニメの前に予習しておくか!」的な動機で読み始めた我々は、だいぶもったいない読み方をしていたのでしょうね。作品を昇華させようと原作を詳細に読み込むスタッフの姿が目に浮かぶようです。
まぁでも、原作者が構成に関わっているので、その強みもあったでしょうけどね。原作者による「これはこういうことなんだよ」という解説は、ものすごく説得力があるものです(経験者は語るw)

>個人的には「I scream」に思い至った里志が顔を手で覆う描写が一番印象的でした。
なんてことだ……感がすごい伝わってきますよね。記事にも書いていたりしますが、僕も同じ感じです。実際に視聴中、無意識に同じような動きをしてしまいましたよ。僕は眼鏡なので、手が伸びたのは顔ではなく頭ですがw

>あと、食い殺されるウサギの絶望の表情と声なき悲鳴…鳥肌が立ちますね。
何回か見ていますが、このシーンが今回の一番のハイライトだったと感じています。単純に映像のインパクトがすごすぎますし、関谷純の思いを原作からさらに肉付けしてみせた意味でもすごいです。

>(今ふと思ったことですが、4話以前に文集の表紙絵がもう少しクローズアップされてると一層効果的だったかも…)
どこだったかな、感想ブログでも似たような意見を見ました。
でもたぶんこれは、わざとあまり映さないようにしていたんだと思います。なぜなら、小説だと映像上のことはいくらでも隠せますが(『愚者のエンドロール』で題材にされてますね)、映像で映像のことを隠すのは極めて困難だからです。加えて、文集の表紙絵は関谷純の真実をこれでもかと表しており、少しでも長く画面に映ると一発でバレてしまう可能性があります。スタッフはこれを避けたのでしょう。ミステリーですから、ヒントは最小限がいいですし。

>『AIR』11話に、『CLANNAD』9話…確かに神回ですね~
納得して下さるとは!
『CLANNAD』9話は人気も高いですが、『AIR』11話は次の12話(ゴールしてもいいよね)が人気すぎて影に隠れちゃっている印象でした。だから僕が11話の魅力を力説しても「うん?……うん、そうだね」という反応ばかり。

>「三好一郎/木上益治」の名前は胸に刻んでおくことにします(他にも別名義があるみたいですね…)
是非是非、刻んでおいて下さい。演出家の名前を一人教えろと言われたらこの人、ってほど推しています。
別名義は、多田文雄(文男)ですね。作画監督・原画で入る時はこの名義を使うようですが、最近は見ませんね。フルメタの時は、三好一郎で絵コンテ・演出やって多田文雄で作画監督やる、なんて合わせ技もやっていたりしましたが。

>図書室でのテキパキ働く摩耶花の動きには目が釘付けでしたね(^^)
うんうん。
原作では折木の視界の中に入っているのが主に千反田であるせいで、摩耶花の描写はほとんどないですからね、アニメは本当に摩耶花の動きを目が追ってしまいますね。意図して可愛く動かしているんじゃないかとも思います。いや、実際意図しているんでしょうけども。
taraさんが挙げていないところでは、目当ての書架に辿り着いた時にわざわざくるんと回ってみたりとか。
足をじたばたさせるところなんか、可愛い上に、まさに三好一郎らしいと言えますよ。他の演出家、例えば山田尚子だったら、摩耶花の後ろにカメラを置いて足をアップで映すところでしたw

>読みながら「アニメではどう表現するんだろう?」と感じた部分もあったので、その辺も含めて楽しみにしてます。
コメレスの時点では、もう6話を見られているんですよね。
どう表現するんだろうとは、どの部分だったんだろうか。尾道教諭の描写?w
2012.06.06 18:50 | URL | #- [edit]
神酒原(みきはら) ">666さん"
>とすれば、「歴史的遠近法の彼方で『歴史』になっていく。」ということになるのでしょうか。
説明が冗長になると思ったのでわざとボカしたところでしたが、記事では「古典」の部分のみをパラフレーズしました。全文をパラフレーズするなら、もう少し違う言い方になるでしょう。

>以下にお書きになっているようなことではなく、近現代史をターゲットとする歴史学の二つのアプローチを思い浮かべるべきかと思います。
うーん、いや、僕が記事で言いたかったのはあくまで「教科として」歴史を見た場合です。中学や高校の教科書で取り扱っている歴史。
教科上で歴史と倫理を比較するととても分かりやすいので、今回そうしました。4話で導き出した答えが、歴史的な回答。5話で導き出した答えが、倫理的回答。
あと、コメントを読む限りだと、666さんの言っている二つのアプローチとは僕の言う「歴史」「倫理」と類似しているように見えます。

>最近、エリック・クラプトンとウィントン・マルサリスが共演したとき演奏された” Ice Cream”というブルースはまさにこの言葉遊びによるものですし、『ダウン・バイ・ロー』という映画の中でも、この言葉遊びは印象的な形で用いられていました。
ふむふむ、やはり唯一無二ではないですよね。僕が以前に見たのはそれらではないですが。
それでも珍しい言葉遊びですね。あまりにもくだらなさ過ぎて、物語的に適用できる場面が限られてくるからでしょうか。

>タイミングとしてはやはりおかしいと思いますし
タイミングの話をするならば、今回のどのタイミングで挿入してもおかしいですよ。
おっしゃる通り、誰のイメージ映像なのかが不明ですから。
これはアニメ特有の「嘘の演出」というやつで、ロジカルに見てみると明らかにおかしい描写でも、ただ事実のみを羅列するよりは映像効果が期待されます。
視覚効果としては面白いとは感じられているようですね。これを感じ取れればいいシーンなのだと思いますよ。

>糸魚川養子が何を感じたかをえぐるカットはなかったかと思います。そこを描くことで、ほろ苦い青春の蹉跌というテーマは本当の意味で完結すると思うのですが
666さんの文は読みづらいw

糸魚川先生の視点を考えてみれば、確かにおっしゃる通りなのかもしれませんが、どうだろうなぁ、ご意見を精読させていただいたあとでも、別になんら未完成なところは感じられません。
しかし、反証がだいぶ難しい。というか、反証はないです。666さんのおっしゃられることは確かにそうだろうとは思いますから。ただ、それが完成への最後の1ピースだとは思えないのです。糸魚川先生がなにを感じたのかを示すカットがあったとして、それはさらに事柄を掘り下げる結果にしかならないんじゃないでしょうか。もちろん、「にしか」とは言いましたが、より作品が深くなることは確かでしょう。
例えば、犬に食い殺されるウサギの映像は原作にもそのような心象描写はなくアニメオリジナルですが、これと同じだと思います。なくても問題はないが、あったらよりよい。

あと、666さんの言っている演出は僕が記事で言っている演出とは違いますね。
僕が主に触れているのはキャラの動かし方、カメラの配置、などなど、主となるストーリーを「彩る」要素です。666さんの言っている演出は、どちらかというと脚本的な演出ですかね。脚本にも書いてあって、絵コンテに落とし込む要素。
2012.06.06 19:36 | URL | #- [edit]
tara ""
丁寧なレスを戴けること自体が嬉しいので、レスのタイミングはどうかお気になさらず…
とはいえ、今回はレス待ちコメントが溜まってるご様子だったので6話感想へのコメントを少し躊躇したのは事実です(^^;)

「勿体無い読み方をしてしまった」のくだり、同意して頂けるとは思ってませんでした(^^;)
記事を読みながら「神酒原さんはしっかり原作を読み込まれてるな~」と感服してましたので;
アニメを観終わった今、改めて『氷菓』を読み返してみたいです。

>文集の表紙絵
うーん…個人的には「映像だからこそクローズアップして欲しかった」という思いがあったんですけどね;
というのも、文字情報で絵の構図を描写すると読者はどうしてもその絵を意識的に脳内でイメージしてしまいますが、視覚的な手掛かりとして提示する場合は割とあっさりスルーされる傾向があるように思います。
あの表紙絵は「真相を知った上で見ればそれこそ一目瞭然だけれども、逆に絵から真相に辿り着くことは結構難しい」という意味で秀逸な伏線だと思うので、表紙絵の構図をもう少し視聴者に印象づけておくと件のウサギのシーンがカタルシス倍増だったんじゃないかなぁと…

ミステリにおける手掛かりの匙加減については考え方人それぞれだと思いますし、飽くまで一個人の感想です(^^;)

>『AIR』11話
「ゴールしてもいいよね」もいいですけど、やっぱり「ママー」でしょう!
胸が張り裂けそうな思いをしたのは第12話ですが、涙腺決壊しそうになったのは第11話です。
2012.06.06 23:11 | URL | #oDscfeY2 [edit]
神酒原(みきはら) ">taraさん"
今回は早いよー! まぁそれでも一日経ってるけどw
以前は、即日コメレスを信条としていたのですけどね。コメレスのクオリティを上げようとするうちに、二年ほど前から遅れがちに。
まぁでも、記事内容では負けてもコメレス内容では他ブログに負けない!を自負しているのでこれでよしとしています。taraさんからもお気になさらずと言ってもらえたことだし。まぁでも遅れ過ぎないようには注意しないとねw

>記事を読みながら「神酒原さんはしっかり原作を読み込まれてるな~」と感服してましたので;
いやいや、僕が原作の描写に詳細なのは単に読んだのが最近だというだけですw
もちろん原作それ自体も楽しむつもりで読んだけど、動機はやはり「アニメを見るため」で、そうなるとガチで読み込んで作っているアニメを見ると打ちひしがれてしまうわけで。

>文字情報で絵の構図を描写すると読者はどうしてもその絵を意識的に脳内でイメージしてしまいますが、視覚的な手掛かりとして提示する場合は割とあっさりスルーされる傾向があるように思います。

いや、これはですね、今ちょうど大学で学んでいることなのですが、これは逆なんです。
人間の記憶というのは、脳の海馬というところにいったん送られて、あとで長期記憶になる……というのはたぶんそんなに珍しくない話だと思うのですが、この場合の短期記憶(専門用語でワーキングメモリと言います)のシステムが肝。
簡単に言うと、ワーキングメモリは三つのセクションがあります。記憶全体をコントロールするセクションと、言語情報をコントロールするセクションと、視覚情報をコントロールするセクション。
人間はものを見た時、実は言語情報のセクションをこそ使うのです。
なぜなら、言語には意味が宿っているから。リンゴを見た時、リンゴの姿だけ覚える人はいません。必ず脳内で「これはリンゴだ」と認識し、「リンゴは食べるもの、甘い」といった情報を確認します。ちなみに7歳以前の子どもはリンゴの姿だけを覚えるので、そこにリンゴがあったことを忘れやすいです。
そしてワーキングメモリには容量の上限があり、それは一般的な大人で6~7個です。これ以上の情報を覚えようとすると、あっさり忘れてしまいます。「298173647」という数字の羅列を一瞬だけ見せて「では数字の羅列を答えよ」と言われたら、ほとんどの人は不可能です。しかしワーキングメモリは便利なもので、同じ数でも「123456789」なら、すぐに覚えてあとからいくらでも答えられますね。これは、「数字が9つ」というよりは「数列が1つ」という数え方ができるので、情報の数としては「1」です。

……という風にして、今回の場合に当てはめると、もし氷菓表紙絵を視聴者が覚えるのに十分な時間画面に映したのだとすると、まっとうなワーキングメモリを持っていればすぐに脳内で言語化(意味を与える)してしまいます。情報の数が「1」だからです。そして、よほど特殊な障害がない限り、ワーキングメモリに個人差はあまりありません。
逆に言葉だけで説明されると、確かにそれがどんな様子なのかをあれこれ考えるでしょうが、「一生懸命考える必要が出てくる」ケースは逆にワーキングメモリの働きを鈍らせるので、これはなかなか長期記憶につながりません。情報の数も、数え方によるでしょうが「1」では済まないでしょう。長期記憶につながれなかった情報は、脳内から完全に削除されます。

……だいぶ端折って説明してしまいました。通じるかな。
だから、映像効果という意味で言えば、脳科学上、絵を見せた方が記憶に残るというのは明白なのです。(※ただし、今回の場合に限ります。情報の質により、結果は変わってきますから)

手がかりのさじ加減については、確かに人それぞれの感覚がありますね。
作り手としては、カタルシスよりも「一瞬のインパクト」を重要視したんじゃないでしょうか。じわじわくるものよりも、視聴者をぶん殴るような一撃が欲しかった、みたいな。毒殺よりも撲殺。いやこれは例が悪いかw

>「ゴールしてもいいよね」もいいですけど、やっぱり「ママー」でしょう!
同志が! 同志がここにいたあああああああ!
やっぱり「ママー」ですよねー! ああくそ、思い出しただけで目がうるうるしてきたw
実はまとまったお金ができたら『AIR』のBD-BOXを買おうかと思っているワタシ。話をしていたら、フライングでまたレンタルしてしまいそうだ。我慢我慢。
2012.06.07 23:59 | URL | #- [edit]
666 ""
 乱文ご容赦ください。

>>タイミングとしてはやはりおかしいと思いますし
>タイミングの話をするならば、今回のどのタイミングで挿入してもおかしいですよ。
>おっしゃる通り、誰のイメージ映像なのかが不明ですから。
>これはアニメ特有の「嘘の演出」というやつで、ロジカルに見てみると明らかにおかしい
>描写でも、ただ事実のみを羅列するよりは映像効果が期待されます。
>視覚効果としては面白いとは感じられているようですね。これを感じ取れればいいシーン
>なのだと思いますよ。
 演出というものについてのとらえ方ということになると思いますが、アニメに限らず、映像作品一般における演出というものは、脚本を読みこんだ上で、全体のムードや何を見せ、何を見せないかを決定し、その上でテーマを印象的なものにし、ストーリーを雄弁に語るための技法だと考えています。具体的にいうと、ストーリーを有効に語るために駆使される、演技の構成、画面のレイアウト、スクリーン・ダイレクション、被写体のサイズ、カメラ・アングルやカメラ・ワーク、モンタージュの構成、カット割りのテンポ、BGMやSEの選択、そして特殊効果などを駆使した「語り口」なのだ、と。要するに、演出とは、単にストーリーに「彩り」を加えることにとどまらず、direction=演出という言葉が示すように、その作品の方向性を形作っていく行為なのではないかと考えています。
 要するに、映像作品における演出とは単に脚本を再現するだけでなく、脚本を解釈しつくして、それをさまざまな手法で視覚化することで、より作品の質を高め、ストーリーやテーマを深めるという役割もあると考えています。そして、まさに、それゆえに、映像作品には、活字媒体の原作を超える可能性があるのではないかと思うのです。いかがでしょう?
 で、上に述べたように捉えているせいか、例の時間遡行のイメージは、あのタイミングで入ることで、特にテーマを印象的なものにしているとも思えないし、真剣に見ようとすれば、かえって誰のイメージなのかがはっきりせず、映像効果を派手にすること自体を自己目的化した作り手のマスターベーション、あるいは視聴者を飽きさせないためだけに何らかの刺激を与えることを目的とした志の低いシークエンスとなっていると感じたのです。要は単にあざとさの印象ばかりが残るものでしかないということです。
 同様の演出として、図書館に入ってくるところで、摩耶花が急に立ち止まった里志にぶつかって、一瞬頬を赤らめる芝居もそうです。第2話で語られていた摩耶花の里志への片思いを踏まえて、着目すべき演出例として評価されているようですが、いよいよ、彼らが真相に迫ろうとしている場面で、必要のないコミカルな芝居を挟み込むというのは、画面に動きや変化をつけるためだけの、不自然であざとい演出でしかないということになります。何もこのシーンに入れる必然性は感じられません。
 その一方で、もちろん、第5話の特殊効果にもうまくいっていると思うものはありました。たとえば画面の左右を背の高い書架で塞いで狭いフレームを構成し、その間に立つ証人・糸魚川養子の背後に当時の真相を知ろうとする奉太郎とえるが入ってくるカットなどは、よく考えられていたと思います。また糸魚川養子の回想に入るシーンの、糸魚川養子と郡山養子の顔の向きを逆にして、すれ違うように見せるところです。スクリーン・ダイレクションによって、序文を書いた頃と現在との事件への向き合い方の違いを効果的に示す心理描写となっていたと感じました。そのような演出なら評価しています。
同様に、「なくても問題はないが、あったらよりよい」とお書きになっている「犬に食い殺されるウサギの映像」は、ストーリーを雄弁に語る上で必要なシーンだと感じました。
 あのシーンはえるの回想の中、やがて「叫」という文字で画面が覆い尽くされていってフェイド・アウトし、涙が頬を流れ落ちるえるのクローズ・アップにつないでいく流れでした。あのシーンは幼いえるが伯父の言葉に受けた衝撃と恐怖を視聴者にも追体験させつつ、彼女もまたあの場で伯父の感じた傷みを共有したことを示すという狙いであるととらえていましたが、そう捉えるならば、禍々しさにみちたあのシーンは登場人物の心情に強引に引き込む有効な演出例ではないかと思います。
 また、糸魚川養子と古典部員たちが対峙する図書館に古典部員たちが入ったあとの場面以降、あのシーンの衝撃力を最大限に高めるために、あえて引きの構図を多用して、視聴者の視線をある程度、シーンの中で重要度の低い人物の動きや背景にも誘導することによって、画面の緊張感があまり高まらないようにする演出プランであったかと理解しています。その結果、後で述べる人物関係の図式の面白さを描きこむ上で、失われたものも多かったと思いますが、シーンの主眼が幼いえるが感じた衝撃と恐怖、そして彼女が共有した伯父の傷みを描くことにあるのなら、それは成功していると思います。
あと、「嘘の演出」などというものは、別にアニメ特有のものでもなく、「嘘の演出」の効果は本来視覚的インパクトのみにその効果を帰するべきものでもないではないかとも思います。たとえば、ヒッチコック&トリュフォーの『映画術』などにも、「ロジカルに見てみると明らかにおかしい」けれど、テーマを際立たせたり、観客を登場人物に感情移入させたり、ストーリーに観客を否応なく引き込んだりする「嘘の演出」の最上の事例をいくらでも見いだせます。そうした「嘘の演出」なら見ている側も不自然さやあざとさも気にならないものなのです。

 糸魚川養子関係の描写の不満は、端的にいえば、それまでの描写で自らハードルを上げておいて、最後の最後にそのハードルを迂回したことの不満です。糸魚川養子の微妙な心の揺れを、声の芝居や表情やしぐさの描写でかなり丁寧に描いていたにも関わらず、それをクライマックスで放り出してしまっています。おっしゃるようなストーリーとしての「完成」度の問題というより、心理描写やテーマの「深」度に関するものなのです。えるから関谷純の言葉を聞いた時、糸魚川養子が何を思ったのか、それを示すカットを描かないことで、それまで微妙な瞳の揺らぎや手のしぐさのクローズ・アップによって積み上げてきた初老の図書館司書の心理描写から最後の最後に逃げてしまったのだと感じました。(逆の言い方をすれば、そこに至る過程で、あれだけの演出ができるのなら、もっとできたろうにと感じたということです。)結果として、「現在の」糸魚川養子の心情が曖昧なまま宙づりにされてしまったと思いました。
 この「氷菓」という作品は、45年前の古典部員と現在の古典部員とが、ナビゲーターとしての近過去の古典部員によってつながれるという人物関係の図式が、興味深く感じられるところなのですが、明らかになった真相が各登場人物に及ぼす影響とその後の関係性の変化を描きつくしてはじめて設定のうまみが出てくるのに、と少し残念に思います。今後、えるから聞いた関谷純の言葉によって糸魚川養子の心に生じた波紋や現在の古典部員との関係の変化、そしてまた古典部員たちのその後の関谷純への思いなどは描かれる可能性はあるのでしょうか?
 もちろん、この作品の主眼は奉太郎を中心とした青春を描くことにあるのだから、糸魚川養子の心理に深入りする必要はないという見方もあるでしょう。しかし、文章表現において対比構造を通じて、対比されていた項目の特質が際立つように、二つの世代の対比を描きこむことで浮かび上がってくる何かがあることも確かですし、それが映像表現であれば、より複雑な味わいをもった「ほろ苦さ」を演出することもできたでしょう。
 「歴史」・「倫理」の問題については、それぞれの学校の担当教師の裁量による違いもあるので一概には言えないでしょうが、「倫理」という科目も(2年前に習っていた時の印象では)、出来事と出来事との因果関係をたどりながら「誰が何をしたか」でとどまっている「歴史」同様に、「誰が何を考えたか」という一定のスクリーニングされた公定の事実の集積にとどまっていたように思います。オーラル・ヒストリーの射程とは大いに異なっていると思いますが、本筋とは関係ないので、これ以上は何も申しません。
2012.06.08 12:05 | URL | #- [edit]
神酒原(みきはら) ">666さん"
>演出というものについてのとらえ方ということになると思いますが、アニメに限らず、映像作品一般における演出というものは、脚本を読みこんだ上で、全体のムードや何を見せ、何を見せないかを決定し、その上でテーマを印象的なものにし、ストーリーを雄弁に語るための技法だと考えています。

>そして、まさに、それゆえに、映像作品には、活字媒体の原作を超える可能性があるのではないかと思うのです。いかがでしょう?

その通りだと思います。特に後者の活字媒体の原作を超える可能性については、僕自身が常日頃から考えていることでもあります。

コメントを読ませてもらったところ、もしかしたら666さんは映像学を学ばれているのかな。アニプレッションメンバーにも映像学を学んでいる人がいますが、普段抽象的に感じ取っているものを具体的な語り口にするのは、普段からよく知らないものを聞くよりも難しいのだな、と彼と話をしていて感じています。僕は基本的に、アニメは主に演出面から語っていますが、あくまで「受け手の視点」を貫いています。だから、以前映像学を学ぼうと思い立った時に、あえてストップをかけた経緯があります。だから僕が感じるもの、記事に書くものは基本的には主観からなる「感想」ですし、学問的に、あるいは批判的に映像を解き明かそうとしたことはありませんし、またそれは僕の役割ではないとも思っています。
という感じで、666さんとは恐らく、同じ土俵での議論ができないのではないかと思えてきました。逃げているわけではなく、本当に立っている場所が違うのではないかと思っているのです。コメントの内容も、頑張って理解しようとはしていますが、できていない可能性もあります。なので、666さんの期待するレスはできないかもしれません。

>同様に、「なくても問題はないが、あったらよりよい」とお書きになっている「犬に食い殺されるウサギの映像」は、ストーリーを雄弁に語る上で必要なシーンだと感じました。
少し、僕の言葉が足りなかったかもしれません。正しく直すなら、「確かになくてはならないシーンだけど、いくらでも画面に取り込む方法、タイミング、演出の度合いがあったところ、選択を間違えれば陳腐なシーンになっていたが、最大限の効果を発揮する演出になっていた」でしょうか。例えば原作では、これは絵のディテールを記述するのみでした。アニメでもその通り、文集の表紙絵を視聴者の記憶に残るように画面に映す、という程度の方法もあったところ、このような演出になったことで、よりよい作品へと昇華したものだと思っています。

>糸魚川養子の微妙な心の揺れを、声の芝居や表情やしぐさの描写でかなり丁寧に描いていたにも関わらず、それをクライマックスで放り出してしまっています。
なるほど、この部分でよく分かりました。
簡単に僕の視聴状況について説明すると、僕は原作既読であり、666さんの抱いている不満は原作を読んだ時にすでに感じていました。不満というほどのものではなく、「あ、糸魚川先生これで終わりか」程度の違和感でしたが。そして、僕は基本的にフィクションを楽しく鑑賞したいので、一度原作で通った疑問点は、アニメに持ち越されても再び感じることは恐らくありません。だから、糸魚川先生の描写がぶつ切りになったところで、特に変だとは思いませんでしたし、指摘を理解した今でも視聴した時の気持ちは揺らぎません。
2012.06.11 02:00 | URL | #- [edit]
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