中二病でも恋がしたい! Last Episode「終天の契約(エターナル・エンゲージ)」 感想!
完全に盲点だった! この着地点は素晴らしい。
最高の契約だった!
なんというかもう、終盤の展開があまりにも素晴らしすぎて、体中がブルブル震えていましたよ。え? それは気温が寒いからだって?
とにかく、僕の予想を遥かに飛び越える出来でした。京アニはきっとやってくれると信じてはいたけど、やっぱりすごい。大好き。これだから京アニのファンはやめられません。
具体的な内容としては、とにかく着地点が素晴らしいと思いました。
いろいろな問題が絡み合って、結局は周り(十花さんや六花の母、祖父母など)ばかりが幸せで身内はみんな不幸……なんて状況になっていましたが、今回はこれらの問題をどう解決するかが見所でした。
僕は、ああなってしまった原因は「六花が依存先を勇太に変えただけにすぎないから」だと思っていたのです。パパへ向けていた依存を、勇太に変えていただけなので、表面上は全て上手く行っているように見えていたのですが、勇太が「眼帯、取れ」と言っただけで本当にあっさりと取ってしまうという。これは見た目以上に異常だと思いました。自らの心を裏切っているわけですから。
これの解決策としては、僕は「二人が新しい価値観を作るしかない」と思っていました。中二病であるだけでは駄目。現実に向き合うだけでも駄目。この二つとは違う、新しい価値観。
六花が勇太に依存していたというのは、確かにその通りだということが今回まさに証明されました。
けど、解決法は、酷く単純なものだったのです。
六花はパパが死んだ直後、不可視境界線を見た。もちろん、不可視境界線という名前をつけたのは勇太に出会ったあとのことだろうけど、あの光の向こうにパパがいるのだと感じた。
そう、六花にとってのパパは、確かに不可視境界線の向こうにいたのです。
六花が頑なに墓参りを拒否していた理由が、やっとストンと落ちましたよ。だってお墓にはパパはいないんだから。至極簡単なことです、考える必要もないくらいに。
私のお墓の前で泣かないで下さい……ではないですけど、故人がお墓に眠っているという固定観念を我々は真っ先に取り払うべきでした。
故人の骨は、確かにお墓の下に眠っているのかもしれない。でもそれは故人そのものではないわけです。故人がお墓にいないというのは、あまりにも当たり前すぎて逆に気付きませんが、自明の理です。
それなのに僕たちが故人の墓参りに行くのは、単にそういう「想定」をしているから。僕たちは現実世界に生きる人間である以上、目に見えないものには触れられないのです。だから「墓」というモチーフを用意し、それを故人の眠る場所として「見立て」、供養をしている。
これは別にいいことです。それが文化というものですから。
しかし、あくまでモチーフとして見立てているだけ。この事実を忘れてはいけない。
そうなると、六花の気持ちがよく分かります。
パパの死は突然すぎて、六花にとっては上手く飲み込めない。ママとお姉ちゃんが泣いていても、まるで他人事のよう。
そんな状態なのに、「死」の代名詞とも言えるお墓にパパが眠っているなんて、感覚的に思えないのでしょう。
そんな中、不可視境界線を見た。
そう、不可視「境界線」なのです。六花はそれが、境界線だということを知っている。なんの境界線かというのは、言わずもがな、この世とあの世のことですね。不可視という言葉で僕たちは上手く騙されたけど、この境界線は越境不可という意味が込められているのでしょう。死ぬ以外に、この境界線を越える手立てはない。
つまり、六花はパパの死をすでに受け入れていたのです。第8話で勇太が六花をかばいながら十花さんに言った言葉は正しかった。
そんな状態で、墓参りなんて行きたいはずがない。
周りに合わせることを選び、今回やっと墓参りに行った六花ですが、ピンと来ていない様子がよく描かれていました。お墓は冷たい(=パパがいる気がしない)し、頭から水をかけるとパパが寒がるというママの言葉にも微妙な反応。
六花にとっては、そこにパパがいるとは思えないのだから、当然です。
六花に必要なのは、パパに別れを告げることだった。
それが六花のもやもやの原因であり、前回までの事態で一番足りないことだった。
ならば簡単なこと、不可視境界線を見付ければいい。
そして、六花が勇太とすでに出会っていたエピソードとつながりますね。
六花にとっての中二病世界は、勇太が起源。邪王真眼など、細かい設定はオリジナルでしょうが、それでもルーツはダークフレイムマスター。
つまり、ダークフレイムマスターがひとたび力を振るえば、その力が邪王真眼に与える影響は絶大。
手を振るえば闇の炎が出るように、ダークフレイムマスターが力を振るえば、そこに不可視境界線を出現させることなど容易いのです。
こんなに強引で、しかし説得力の強い展開は他に見たことがない。
両の拳を突き合わせ、「バニッシュメント・ディス・ワールド!」と世界を改変させる勇太のなんと、なんとかっこよかったことか!
余談ですがここは今回の作画監督の植野千世子作画が炸裂していて、作画的にも大興奮でした。やはり京アニの中でも植野作画は飛び抜けてかっこいい。勇太の動き、エフェクト、どれを取っても一級品でした。
そして六花は、勇太が開いてくれた不可視境界線……その向こうにいるパパに、ずっと言えなかったお別れの言葉を告げるのでした。
こんな、簡単なことだったのですね。新しい価値観とか、周りとの妥協点を探すとか、そんな小難しいことはいらなかったのです。六花は己の心のままに従い、己の思うままにパパにお別れを言えばよかった。
パトカーに追い駆けられている時の(いや止まれよw)、六花の動きがすごく懐かしくて、思わず「六花かっけぇ!」なんて思ってしまいました。駄目だ、このアニメ見たせいで僕も中二病がぶり返してきたw
話は前後しちゃうけど、エターナル・エンゲージのシーンもめちゃくちゃよかったですね。
六花と新たな、そして永遠の契約を交わそうとする勇太がとてもかっこよくて濡れます。前回が超もやもやだった反動もあって、今回の勇太はほんととにかくかっこいいw
本当に、最高で、素晴らしくて、エクセレントでした。どれだけ言葉を尽くしても足りないくらい、面白かったです。
その他いろいろ
終盤の感想だけでだいぶ埋まってしまったw
それくらい、素晴らしかったということですね。本当はもっといろいろ書きたいんだけど、全部書いてたらそれだけで本ができそうなくらい書いちゃいそうなのでやめておきます。
くみん先輩の突然すぎる謎活躍、丹生谷の言葉、悲しみの凸守(でもすぐ中二病に戻る)、などなど見どころはいっぱいあったけど、くみん先輩の活躍を特筆したいですね。
くみん先輩の活躍自体は、確かにびっくりはしたけど、彼女はこんなことをやりそうな雰囲気はずっとあったので、特に特筆すべきことではないです。
大事なのは、六花がくみん先輩にメッセージを残していたこと。
僕は「六花が勇太に依存したままだからいけない」と前回書きました。そして今回六花と勇太の本当の出会いが描かれ、依存が予想以上に強いものだったということも分かりました。
六花は勇太に依存していたから、勇太が言えば眼帯も外すし、中二病もやめる。勇太がいいんじゃないかというならお墓にも行く。中二病をやめたということだけではなく、完全に主体性が失われていたのですね。
しかし、そうではなかったのです。勇太の言葉に対しイエスマン……イエスウーマンになってしまっていた裏では、最後の砦として、「自分の意思」を残していたのでした。
それが、くみん先輩への邪王真眼の伝承。自分で直接勇太に言う勇気がないから、遠回りな方法を取った。
でも、きちんと勇太に伝わりました。伝える方法が中二病設定である邪王真眼だというのが、とてもいいですね。くみん先輩は途中から素に戻っていましたがw
つまり、確かに六花は勇太に依存しているのかもしれないけど、依存しているばかりではないということ。主体性もちゃんと持っているというわけですね。
前回問題だと思っていた部分が実は問題ではなかったんだぜ、ということが分かって、僕はすごく納得しました。
……しかし、中二時代の六花は本当に可愛かった!
身長が今よりも低いから小動物さが増しているし、ダークフレイムマスターの一挙手一投足にドキドキする様子が本当に可愛らしい。「む、だれだ!? だれかに見られている……」のシーンは笑ったw
六花がくみん先輩に想いを託したというと、勇太の時間差メールもよかったです。
勇太はなんとなく感じていたんですね、自分がつまらない人間に成り下がりかけているのが。だから保険として、手紙を書いた。
2年越しのタイムカプセルの威力は劇的でしたね。
あと残っているのはママの問題ですが……
僕は第10話の時点で、ママは「社会的問題」の代表として物語に登場した皮肉に溢れた人物である……的なことを書いていたので、今回ママのことが放り投げられたのはまっとうな作劇の範囲だと思っています。
十花さんの言い分を思い返してみると、
六花はママと暮らさないといけない。でもママは六花の中二病に戸惑っている。六花の中二病をやめさせて欲しい。
つまりこれは、社会に出たらその中二病どうすんだ、という問題を家庭内の問題にダウンコンバートしてしまった形なのです。中二病は恥ずかしいので周りとの接し方を考えないといけない、というのは社会的な問題であって、決して家庭的な問題ではない。それは作品内でも示されています。十花さんは文句を言いつつも、六花の趣味をある程度は認め、上手く付き合えていたわけですから。家庭内の話だと、問題にはならないのです。
しかし、ママだと問題になってしまった。これは、この作品内でのママの立ち位置が「社会的問題」を表しているということ。
つまり、十花さんとママは六花の親族だけど、家族は十花さんだけ。
ママが六花を想っているのは本当だろうし、夫を亡くしているしで少し可哀想な気もするけど、子育てを一度放棄したのは事実。ママは物語の中では、勇太や六花たちの輪の中には入れないのです。
ならば、ラストで彼女についてが描かれなかったのも当然のこと。
恐らく富樫家の上で六花と一緒に暮らしてはいるはずなので、今後の時間を使って、彼女には精一杯時間を取り戻して欲しいですね。
総評
というわけで、アニメ『中二病でも恋がしたい!』、これにて終幕です!
でも勇太と六花の物語はエターナルです!
ここまでたくさん書きまくったので、総評は簡単にいきましょう。
アニメ版の内容は、原作からは設定を借りてきただけの、完全オリジナルストーリーでした。
原作からだいぶ違うとなると、期待の反面不安もあるわけで……とは、なぜかなりませんでした。それは、こう言っちゃあれだけど、原作の出来が本当に酷いから。詳しくは、感想記事を書いていますのでどうぞ。ネタバレはありません。でも酷評しまくってるのでそういうの見たくない方は注意。関係ないけど記事ナンバーが「ニヤニヤ」です。
という感じでオリストのアニメ版には期待度マックスだったわけですが、それと同時に、「原作は超えないだろうなー」という思いもありました。
さっきと言っていることが矛盾していますが、しかし原作の2巻は1巻とは大違いの面白さなのです。相変わらず文章は下手くそすぎるのにめちゃくちゃ感動してしまった。それだけ素晴らしいストーリーだったということです。
しかし、その素晴らしいストーリーの基軸となるキャラは、アニメ版からは抹消されています。というわけで、このキャラのエピソードをアニメで見ることは不可能。
このエピソードがあまりにも面白いので、このキャラが出ないならアニメ版は原作を超えないなー……と、こういうことでした。
実際にアニメを見ていっても、全体的に見ると原作より遥かに面白くなっているものの、やはり件のエピソードの最大瞬間風速には届かないなぁ……という思いはあって。
でも、最終回で評価は覆りました。僕の大好きな原作2巻のエピソードに負けずとも劣らない、最高のお話を見せてくれました!
満足度は同じくらいです。いや、全体的なレベルが高かった分、アニメ版の方が満足かな。
という感じで、大満足しております。だいぶ抽象的な言い方をしたけど、通じたかしらこの気持ちw
とまぁ、このキャラが出てこない関係もあって「2期は絶望的だなぁ……」とは思っていたのですが、なんだか終わり方が予想外に広がりのあるものだったし、あり得ないことはなさそう……か?
「また会おう!」の言葉を信じたいですね。
でもまずは、来年から始まる『たまこまーけっと』を楽しみにしましょう!
京アニ2度目の、1年間ぶっ通し。今回も面白い作品になっていることでしょう。これについてもいろいろ語りたいけど、今はやめておきます。
最後に一言。
次回予告は欲しいなぁ。


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